江戸時代に、日光街道の越谷と春日部の間に間久里の立場、越谷と草加の間に蒲生の立場がありました。立場とは、街道の宿場と宿場の間の、休憩所のことです。峠で言う茶屋です。

立場があると名物があります。蒲生は焼米、間久里は鰻でした。

川のないところになぜ、ウナギ屋さんが?

江戸時代初期に、元荒川の曲流による氾濫を防ぐため、万久里方面への曲流を切り離し川をまっすぐにする工事を行っています。

この自然の川の跡地が、鰻の生簀(いけす)としてもってこいの環境で、この好条件を活かしたのでは、と言われています。

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現在せんげん台でうなぎが食べられる千石家さん